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八丈島に移住した僕の仕事とお金の話

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流人の島、八丈

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こんにちは、IGです。

 

八丈島に来て間もない頃「八丈島って流人の島なんだよ」って教えてもらいました。

流人の島って何かわかります?

そう、謂わゆる島流しってやつです。昔悪いことをした人に対する刑罰で本土の牢獄に入れずにどっかの無人島やら僻地に行かせる罰です。

今回は八丈島の流人を紹介してきます。

 

まず流人で有名なのは源為朝です。

平安時代末期の武将で身長七尺ほど(2m10cm)の大男であの有名な源頼朝、義経兄弟の叔父に当たるそう。

なんでもものすごい弓の名手で恐ろしい化け物を退治する伝説があったり、戦なんかでえらい活躍したりしたとにかく暴れん坊のわんぱく坊主だったみたい。

詳細はWikipediaを見てもらった方がいいんだけど、なんでも保元の乱後に八丈島に流罪になって八丈島で自害したみたい。

なんか手がつけられないような暴れん坊だったみたいだけど、

八丈島ではしっかり祀られて為朝神社と呼ばれる神社もあります。

またお正月には為朝凧なる凧を作る(凧に為朝の絵を描く)のが風習で

今でも為朝凧あげ大会という大会が催されてる様。

ちなみに伊豆諸島では今でも為朝が親しまれており、島の女性と結婚して移り住んできた本土出身の男性を、為朝の剛勇ぶりにあやかって「ためともさん」と呼ぶそう。なので今度から僕のことも「ためともIGさん」と呼んでください。笑

 

もう1人の流人は宇喜多秀家。

これまたWikipediaを見てもらった方が正確なんだけど、

簡単に説明すると宇喜多秀家は安土桃山時代の武将で豊臣政権末期の五大老の1人。

元服した時に、豊臣秀吉より「秀」の字を与えられ秀家と名乗ったり、家督を継いだ幼少時から終始秀吉に重用されるなど秀吉に気に入られてたみたい。

岡山城主として備前・美作・備中半国・播磨3郡の57万4,000石を領しておりかなりすごい戦国大名だったみたい。

でも西軍の主力として参戦した関ヶ原の戦いで敗れ、死罪になるところだったんだけど、懇願してなんとか流刑にしてもらいそれで八丈島に来たみたい。

その時には家来など100人くらい引き連れて来たそうで八丈島の人口はその時に

一気に跳ね上がったに違いない。

八丈島には現在も浮田さん喜田さんがいらっしゃるがどうやら宇喜多秀家の子孫らしい。

八丈町大賀郷には宇喜多秀家住居跡なるものがあるので興味がある人は行ってみてください。

 

流人の島、八丈にはおよそ2000人の流人がいたそうですが、

その中でも超有名な2人を紹介させて頂きました。

 

八丈島のお土産屋さんには流人の島なんて書かれたTシャツが売ってたりするんですが流人の島アピールってどうなの?って個人的に思ってしまいます。

そんなことアピールしてたら八丈島って犯罪者ばかり悪者ばかりが集まった北斗の拳に出てくるような世紀末の荒れ果てた島なの?って思ってしまう人もいるんじゃないか心配になりますが、そんなことはないので安心してください。

前にブログでも書きましたが、現在は親切でいい人ばっかの島です!笑

 

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